お相撲の思い出

北の湖理事長が、ついに辞任した。

尿検査で陽性反応が出て、それでも「本人がやっていないと言えば、やっていない」と記者に言い放っていた弁護士さんにはびっくりしたけど(そんな理屈が通るんなら、ドーピング検査そのものが成立しないじゃん)、朝のワイドショーで、松浪健四郎 元文部科学副大臣が、「次にメディアの前に立たれるときは、おやめになるときでしょう」と、明言されていたのを聞いて、その時点で決まっていたのだろうとは思っていた。

この件に関しては、常に、NHKが先行してニュースを流していたしね。

なじみのうすいお相撲の世界だけど、記憶のすみをつつけば、全く無いわけではない。

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近所の幼友達の家では、夕方になると、おじいちゃんが居間のテレビを占領していた。ずっと相撲中継がかかっていた。人気力士が登場すると、私たち子どももちょこんとテレビの前に正座して、中継を見ていたものだ。

中学に入って、はじめて大阪場所にいった。
接待のチケットが余ったとか何とかの理由で、父が連れて行ってくれたのはいわゆる枡席。紙袋いっぱいのおみやげやお弁当ももらって、席まで案内してもらって、気分はすっかりブルジョア。

「あそこがいわゆる砂かぶりで、あのへんは、いくらなのかな」

「前の方にいる着物を着たひとたちが、タニマチかあ」

本当に不思議ワールドで、きょろきょろきょろきょろしていたモノだから、肝心の取り組みとか、全く覚えていない、情けなあい思い出。

ちなみにおみやげは、千代の富士の手形が着いた朱色の書類箱。いまも、現役で使っています。

ただ、当時私は、筒井康隆さんの大ファンで、「走る取的」という短編を読んでいたこともあり、とてつもなく体の大きなお相撲さんたちが怖くて怖くてしかたがなかった。

警備とかもお相撲さんがしていたんだけど、本当に、信じられないくらいでかかった。
「本当に最強だ」と実感した。「走る取的」、読んでみてください。

そして高校生になり、茨木市にある高校に進学。
学校の近くには、大阪場所になると宿舎になるお寺があって、季節になると、はでなのぼりが何本も立っていた。喫茶店とかで、おすもうさんと一緒になることも多く、小さな椅子にちょこんという感じで窮屈そうに腰掛けている姿がおかしくておかしくて、でも、笑ったら、大変! (詳しくは、、「走る取的」を読んで)とばかり、こっちは緊張して、あんまりじろじろ見ないようにしていたものだ。

帰りがけに「ごっつあん」といって、お金をつけ払いにしていくんだけど、本当に「ごっつあん」っていうんだ、と変に感動した記憶もある。

その後はなんと言っても、若貴時代。

会社の控え室に集合して、仕事をさぼって、テレビ中継に釘付けになったものだ。

これが最高の時代だったねえ。

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コメント(2)

昔は良かったねー。純粋で、力いっぱい応援したものです。
私の子供の頃は、淡路出身の”成山”応援しましたね、時折金星を挙げるんですよ、近所のみんなと庄屋さんの1台しかないテレビで大声だして・・・懐かしい記憶がよみがえりました。
ありがとうございました。そうだったなー、なぜか大相撲、よみがえれと応援したくなりました。

泰山幸望さん、コメントありがとうございます。
ちょっと前までは、本当に、個性的で強いお相撲さんがいましたよね。
わたしは子どもの頃、信州の山奥にいましたから、学校ではからだを鍛えるために「相撲体操」というのもしましたし、寒い日の遊びはお相撲でした。学校には土俵もありましたし。
今回の事件をきっかけに、本来の凛とした姿に戻ってほしいと思いますね。

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このページは、編集オフィスマスダが2008年9月 8日 18:15に書いたブログ記事です。

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