ああ、明石原人

何気にネットでニュースを見ていたらこんな記事が。

原人、55万年前に朝鮮半島に? 同志社大の松藤和人教授らが発表
2007.11.24 22:00
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071124/acd0711242200003-n1.htm

「原人」関連記事は、明石の住人としては見逃せないですよね。
 
 同志社大の松藤和人教授(考古学)ら日韓共同研究チームは、前期旧石器が見つかった韓国忠清北道の万水里遺跡の年代を56万―54万年前と割り出し、24日、同大で開いた国際セミナーで発表した。

 佐藤宏之・東京大教授(考古学)の話として、
「中国では北京原人の例はあるが、韓国で55万年前となるとかなり古い。石器の作り方や出土状況の詳しい情報も入手したい。ナウマンゾウが日本列島に渡来しているように、朝鮮海峡は30万年前までは何度か陸地化している。朝鮮半島まで原人が進出していたのなら、日本にも来ていた可能性は十分ある」

と紹介しています。

明石の海では、半端じゃない数の象の化石が漁師さんの網にかかっているのはご存じの通り。
当然ながら、野生の象はいまの日本にはいません。
でも、当時は、うようよと、このあたりを象が歩き回っていたんですよね。
想像するだけでも、わくわくしませんか。

今回の発表は、明石にも原人がいたよーという夢がまた広がったような気がします。


それにしても、同志社大なのね、と。(関大 故・網干教授派の増田は、ちょっとすねてみたりする。)

同志社大で考古学を学んだ方が明石市教委にもいらっしゃって、かれは、藤江川添古墳からメノウ製のハンドアックスを発掘。12万年前~5万年前と思われる地層から発見され、当時、ホームラン級の発見といわれました。本当の「神の手」の持ち主ですね。
ちなみに同氏は、「明石原人」に憧れて、学生時代に1985年の八木海岸の再発掘調査に参加。その後、明石市に就職します。
また、再発掘調査の団長は、国立歴史民族博物館の春成秀爾教授。かれもまた、八木海岸近くに育ち、「明石原人」を身近に感じながら育った一人。今や、石器時代や、明石原人、発見者・直良信夫氏を語るとき無くてはならない存在になっています。
直良さんは、病気療養のため、たまたま降り立った明石の地で、結婚し、子どもをそだて、八木の海岸で人間の腰骨らしきものを発見します。


そのご、この腰骨が、「原人論争」へと発展していくのです。
腰骨は東京大空襲で消失。いまあるのは、レプリカです。

今となっては、腰骨は原人ではなかったということになっていますが、「明石原人」がその後の日本の考古学界に与えた歴史を見ていくと、不思議な感覚におそわれます。
直良さんは、「そのために存在した人」だったのかなと。

明石の子たちには、ぜひ、この歴史を知って、プライドを高めて欲しいと思う。と、いつも、強く思っています。

●「明石原人」とは何であったか 著者名  春成秀爾/著   
●見果てぬ夢「明石原人」―考古学者直良信夫の生涯  直良 三樹子 (著)

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このページは、編集オフィスマスダが2007年11月25日 11:45に書いたブログ記事です。

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