今日、11月1日は、明石市の市制記念日。 本日の広報あかしによると、「大正8年(1919年)11月1日、県下4番目の市として誕生」したとあります。
最近では、功労者などの表彰が行われるようですが、以前は、毎年毎年、記念式典を行っておりました。 77周年だったかな、中途半端な周年行事の時に、故原健三郎衆議院議員が来られたときがあり、「50周年とか、100周年なら分かりますが、毎年毎年の周年行事というのは珍しいですな」というようなことをおっしゃって、会場を和ませたこともありました。
さて、昨日は私、web「We love kobe」の取材で、地下鉄「新神戸」~異人館あたりに出没しておりました。 今日の雨模様とは違って、すっきりとした秋晴れ。 絶好の行楽シーズンとあって、取材の方もサクサクと気持ちよく進んでおりました。 ところがどうも、異人館取材あたりで、なんともいえない「違和感」を感じはじめ、このままでは、記事が書けんじゃないのーー状態に陥ってしまったのです。
奥深いところに行き着けていないというか、ガイドマップにだまされてるんじゃないかな、とか、地元の人たちの生の感情を拾い上げていないじゃないのーとか、そんな感覚です。そういうときは、必ず救世主様が降りてこられるんですね。 「風見鶏の館」前で、黄色い帽子をかぶったボランティアガイドさんがいらっしゃったのです。
NPO法人 KOBE観光ガイドボランティアの皆さんでした。よっぽど私が、すがりつくような目をして頼んでいたんでしょうね、「それならばいい人を紹介してあげるよ」と、連れて行ってくださったのが、イタリア館(プラトン装飾美術館)。 館長の三浦さんは、神戸異人館協会の会長でもあり、ご夫妻で実際にこの「異人館」に住んでおられるとのこと。住まいを公開されているんですね
異人館に住むことが夢でした」と話す三浦ご夫妻に、「住民の目で見た異人館とは」と質問を投げかけると、「愛着ですね。この異人館というエリアが100年先も存続するためには、異人館を持っている人がここに実際に住むことです。愛着を持つことです」と、話してくれました。三浦さん、心からこの町が好きなんですね。
家に帰り、おみやげのクッキーを食べながら高3の長女に報告。 子どもも「異人館、受験が終わったら連れて行ってよ」と、うらやましそう。
ちょっと気をよくした母がすかさず言う。 「今日の取材のタイトルなんだけど、『憧れて、異人館』にしよう思うねん。どう、いいやろ」と、ちょっと自慢げな親。
18の子が一言。 「おかさんのキャッチコピーなあ」 「うんうん」と母。 「やっぱり、昭和のにおいがする。わるいけど。ちょっと、古いんちゃう」
「ガビーン」「その、リアクションも古いわ」
「ドッヒャーン」
「だからあ・・」
引退が近いのでしょうか。。。。 こんな事で負けへんでえ。昭和のおなごは強いんや

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