公文のみなさま、ありがとうございました①

7月30日(月)、懐かしの「公文教育研究会」を訪問させていただきました。
お忙しい業務の中、こころよくお時間をさいてくださったみなさま、本当にありがとうございました。

プロフィールにも書かせていただいていますが、 増田は公文教育研究会出身。大学卒業後、はじめて飛び込んだ仕事の世界で、社会人としてのあり方を1から教えてもらった場所です。
そこで配属になったのが社長室で、主に社内・社員向けの広報全般にかかわっていました。

もう、20年も前のことですから、当時の印刷行程は、今に比べるとそれはそれは時間がかかったものです。
現在のように、20万円そこそこのパソコンで、10万円程度のDTPソフトを使ってラクラク版下ができてしまうような安っぽい作業ではなく、 高価な写植機で、熟練工が職人肌で仕上げていく、しかも、一度印画紙に焼き付けてしまうと、やり直しがきかない世界。 この時点で校正をするためには、同じ文字をその版の中で探し、「切り貼り」という手法で置き換えていくしかないのです。
ですから、校正が多すぎると●●円上乗せ、写真1点の分解は5000円というように、版を作るだけでもお金のかかる世界でした。
いい作品を作ろうとすると、現場とのチームワークが必要で、特に、新米駆け出し、校正多すぎ!の私なんかと、職人さんたちの間に入って、 当時の営業マンの方はずいぶん苦労されたようです。この世界、単に「ビジネス」では割り切れない世界なんですよねえ。

ちなみに、印刷屋さんが「昔は良かった」という話をよくされますね。「あのときに、何千万もつぎ込んで設備投資したのに、 1年もしないうちに、安い機械が次々と生産されて、役立たずの大型機械だけ残ってしまった。今じゃ、そんなパソコンでできてしまうんやからねえ」 、なんてうらめしそうに編集室のPCをのぞきこんだり・・昨今の急激な技術革新は、まちの印刷屋さんに大打撃を与えたと思いますね。

話がそれたついでに、写植機の話。
写植機は1924年に石井、森澤の両氏によって発明され、「写真植字機研究所」(現、写研)が創業されています。その後、森澤氏は写研を離れ、 「写真植字機開発株式会社」を操業。これが、現在の「モリサワ」です。この「モリサワ」の発祥の地は、兵庫県明石市人丸町。私と同じ町内会です。 さらにかなり後で分かったこととして、増田は結婚して大阪から明石市に引っ越してきたのですが、モリサワ家は、 だんなさまのほん近い親戚だったのです。
「すごーい!!」と感動する私に、「モリサワ」って「写真屋さんなんやろ」とだんな。
「なんでやねん」と、何度説明しても分からず。
確かに、書体やさんって、一般の人には、わかりにくいかもしれませんね。

あーあ、公文訪問記のはずが、まだ話の入り口でこんなに字数を使ってしまいました。
それだけ、今の私の根幹をなしている「公文時代」なのです。

すみません、この続きはまた明日ということで。

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このページは、編集オフィスマスダが2007年8月 1日 08:37に書いたブログ記事です。

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