満州国からの引き揚げ秘話

朝から、頭ががんがんしています。
昨晩は少し飲み過ぎたかな。
とてもたのしいお酒だったもので。

私の「教え子」たち、といっても、20~30も年上のみなさんとの再会でした。
わが町が誇る高齢者大学の卒業生で編集局OBのみなさんなんですが、私もちょこっと、編集のお手伝いをさせていただいています。
3月の卒業コンパのさいは、締切の関係で編集作業が夜中まで及んでしまい、私が参加できなかったために、この日、2カ月遅れの追い出しコンパとなったわけです。

世代はことなるんですが、実に楽しいことに、学生時代にタイムスリップしたみたいに、話に花が咲くんです。
特に、歴史好きのわたくしにとって、この世代の皆さんは、生きる歴史教科書。まさに、「そのとき歴史は動いた」状態のことを、生で伺えるんです。すごいと思いませんか。
しかも、この日の面々は、いずれ劣らぬ強者揃い。
聞き語り、全編紙上再現、をすれば本当におもしろいのでしょうが、ここでは、そのうちの「満州国引き揚げ秘話」を。最年長B氏のお話です。

私は生まれも育ちも満州。
終戦は小4のとき。
父は、満鉄関連会社の技術者。
終戦日を前に、「逃げろ」という情報は入っていたようだ。
1945年(昭和20年)8月15日正午(日本時間)の玉音放送は、小学校のグラウンドで聞いた。担任の女の先生が校庭に泣き崩れたのを覚えている。
日本が戦争に負けてまもなく、中国国民党と共産党の内戦が始まった。
「ドンパチドンパチ」撃ち合う銃声が聞こえた。
私たちは、息を潜めて家の中に隠れていた。
その地域にいた私たち日本人が引き揚げたのは終戦から1年後。ソビエト連邦の技師に鉄道関連の技術を伝えてからだった。

さて、銃声がなりやみ、そっと外に出てみた。今でも鮮明に覚えている光景がある。共産党軍が勝利するのだけれど、そこに日本の軍人が加担していたことだ。しかも、大切にまつりあげられて。
・・・・
静かな語り口の中に、刻まれた歴史の重さ。
彼にとっての「日本」は、私なんかが思う、うすっぺらな「国家像」とはまったく異なるのだろうと、聞きながら思いました。

6月末で現職を卒業し、独立することをお伝えすると、よし!とばかり「応援団」を立ち上げてくださいました。
本当に心強い限り。嬉しいです。

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このページは、編集オフィスマスダが2007年5月25日 23:19に書いたブログ記事です。

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